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日岡兼三の死因は?奥さんや弟子の存在や画家としての経歴についても調査

kuroneco
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大人気漫画『かくかくしかじか』が映画化され、2025年5月16日に公開されます。

東村アキコさん の自伝的漫画として、漫画家になるまでの9年間を描いた作品ですが、多くの人の心を揺さぶる名作となったのには大きな理由がある事をご存じでしょうか?

それは東村さんを美大に導いた美術教室の講師・日高健三先生の関係性です。

高校時代から日高先生の教室に通い、就職後も先生の美術教室を手伝うとい、師と弟子といった関係性を断ち切るようにして漫画家となった東村さん。

漫画『かくかくしかじか』は、このお二人の歴史や関係性が嘘無く書き綴られているからこそ、多くの人の心を揺さぶったといえるでしょう。

そんな日高先生には、実在のモデルがいます。宮崎県を代表する芸術家・日岡健三氏、彼こそが東村さんの恩師なのでは?と言われているのです。

しかしこの日岡先生、作中の日高先生としてもプライベートがほぼ描かれておらず、東村さん以外の弟子の存在や奥さんがいるのかどうかすら分かりません。またその死因についても、そこまで詳しく描かれてはいないので、晩年の日岡兼三氏が、どんな風に暮らし、その生活を支えたのは妻なのか、そういった事も見えてこないのです。

そこで今回の記事では、日岡先生に奥さんがいるのか、またその死因について調べてみました。

やまこ
やまこ
教室に通ってくる生徒たちに、真っすぐぶつかるようにして向き合っていた日高先生を妻として支えた人物がいたのなら、どんな女性なのか気になるなぁ。

 

映画【かくかくしかじか】日高先生のモデル・日岡兼三さんってどんなひと?

やまこ
やまこ
日岡兼三さんって、どんな人なんだろうね?

本当に漫画の中の日高先生みたいな強烈キャラだったのかしら?

 

映画【かくかくしかじか】の強烈キャラクター・日高先生とは?

映画【かくかくしかじか】で、主人公・アキコの恩師として登場する日高先生は、まずはその指導法の強烈さで読者の目を惹きつけます。

やまこ
やまこ
竹刀片手に登場して、アキコの持ってきたデッサンを

『へたくそ』

と言い捨てるシーンには度肝を抜かれちゃったわ 

そんな日高先生の教室にはアキコのような高校生以外にも、子供から老年の大人まで通っています。しかし年齢に関係なく基礎を大切にする先生は、年上の生徒にも延々とティッシュ箱のデッサンをさせる徹底ぶり。

アキコの目から見れば

『受験するわけでもない、趣味の一環として絵を習いたい人なんだから、もっと描いていて楽しいお題を出してあげればいいのに…。』

と思うわけですが、しかし後年、この老年の生徒さんが描いたティッシュの箱の出来に大喜びするのが日高先生という人なのです。

絵というものは、芸術である以上個人の好みや裁量によって好きに表現する事が出来るもの、という印象が強いですが、どんなに奇抜な表現にも必ずその土台となる基礎がなくてはいけません。

『ただ描ければいい』ではなく、しっかりとした土台を築いてこそより『描くこと』を楽しめる、というのが日高先生の考えだったのでしょう。

りと
りと
ティッシュ箱のエピソードは、先生のお人柄を表しているのと同時に、この生徒さんもまた途中で嫌にならずに教室に通い続けた、という部分も印象的です。

高校生のアキコには分からなかった先生の気持ちを、この生徒さんは性格に把握されていたのかもしれませんね。

 

日高先生のモデル・日岡兼三さんの経歴とその死因とは?

日岡兼三さんは、昭和21年に満州で生まれました。終戦直後の満州での誕生という事は、日岡先生の人生はとても大変なスタートだったのではないかと想像できますが、幼少期には父親の地元・宮崎に移り住んでいます。

宮崎に引っ越したものの、その生活は決して楽なものではなく、早くして病に倒れた父親の代わりに生計を支えるような暮らしを高校生の頃から続けていたんだそうです。

やまこ
やまこ
え?そんな生活では、先生が絵を描く暇なんて無かったんじゃない?
りと
りと
そうなんです。漫画『かくかくしかじか』でも描かれていますが、日岡先生は大学に進学されていません。

先生が絵を描くことに触れたのは、双子の弟さんたちが大学を卒業してからなんです。

日岡先生が師事したのは、画家・末原晴人氏。日岡先生は、末原氏の元で徹底的にデッサン力を磨きました。

この末原氏の指導はかなりスパルタで、完成間近のものでも『デッサンが狂っている』としてその場で消してしまう事もあったそうなのですが、日岡先生は挫ける事無く4年間学んでいます。

こうして始まった日岡先生の芸術家人生は、33歳で弟を亡くしたことで作風に変化が生まれました。モノトーンにコラージュを行い、そこに赤を差し込んだ作品は、それまでにはない厳しさをまとっていくのです。

りと
りと
この頃、日岡先生は東京のギャラリーから上京を誘われています。

しかし弟を亡くした実家が大変な状況である事、また、上京したら今のような表現槓子道は難しい、と考えられたようで、日岡先生は宮崎での創作活動を選んだみたいですね。

漫画『かくかくしかじか』の作者・東村アキコさんも通った美術教室は、日岡先生が36歳の頃に開かれました。地元の人に美術を教えながら自身の創作活動にも勤しむ、そんな生活は今後一生続いていくことになります。

教室を開くのと同時期に、日岡先生はご結婚されました。教室も創作も家計を安定させるほどの稼ぎには繋がらなったようですが、日岡先生の奥様は彼の芸術にかける情熱を応援い続けてくれたとの事。

やまこ
やまこ
素敵な女性と巡り合われたんだねぇ。

こうして多くの生徒を熱く指導しながら様々な作品を残した日岡先生ですが、平成13年に肺がんと診断されます。

手術は受けないと決め、それでも作品を作りながら教室を維持し続けた日岡先生は、やがてがんの影響が視力に及んだことで教室を閉め、亡くなる2日前まで制作を続けられ永眠されたのでした。

りと
りと
最後の最後まで作品を作り続けた日岡先生。

そのお人柄は多くの生徒さんからも慕われており、病没後には生徒さんたちの協力の元『日岡兼三展』が開催されています。

やまこ
やまこ
漫画『かくかくしかじか』でも、ぶっとんだ強烈キャラにもかかわらず、東村さんはじめ沢山の生徒が先生を偲ぶシーンは涙が止まらなかったもんね。

 

日岡兼三さんを支え続けた奥さんと、多くの弟子まとめ

りと
りと
日岡先生がご結婚されていますが、いったいどんな奥さんなのか気になりますね。

日岡先生の創作活動を支え続けた奥さんと、弟子の皆さんについて調べてみました。

 

日岡兼三さんの奥さんってどんなひと?

日岡兼三さんが美術教室を開いた36歳の頃、奥さんの美穂さんと出会います。

母親が絵画教室に行った時の講師が日岡先生だったのと同時期、美穂さんは後輩の方から

『日岡兼三と言う画家に会ってみないか?』

と誘われたんだそうです。

このタイミングの良さから、日岡先生と会う事を決めた美穂さん。お互いに年齢を重ねているということもあり、すぐに結婚話へと繋がったのです。

日岡先生が亡くなったあとに開催された『日岡兼三展』で発売されたカタログには、美穂さんからの手記が寄せられています。

その中で美穂さんは、夫・日岡兼三について

『真面目で裏表のない人だったけれど、頑固な一面もあって思い込んだことは簡単には翻さない人でした。

それでも、明るい性格で多くの友人から愛された彼は、新たな表現を求める向上心が強く、作品と真剣に向き合う大切さを教えてもらった気がします。』

と語られていました。

美穂さん自身は、中学校の美術教師をされていたとの事ですので、芸術に関わる同志としての側面もあったのあったのかもしれませんね。

やまこ
やまこ
美穂さんは日高先生の事を尊敬してらしたのね。素敵なご夫婦だわ。 

 

日岡兼三さんの弟子と言えば誰なの?

日岡兼三さんには多くの生徒がおり、またその中には教室で『絵を描くことを楽しむ』というカテゴリーを超えた弟子の存在も忘れてはいけません。

先に述べた『日岡兼三展』で発売されたカタログの発行者を見ると、そこには『日岡兼三生徒の会』と書かれており、この展示会を開催する為に多くの生徒や弟子の皆さんが協力されたことが分かります。

この『日岡兼三生徒の会』代表の後藤慎太郎さんは、日岡先生の後を継ぐかのように『まちなか絵画教室』を宮崎市で開かれていますし、またカタログの中に文章を寄せられている横山仁美さんは

『日岡先生は、金銭的に苦しい生徒には自分の創作を手伝うバイトを用意して日給を払ってくれるような人だった。』

と語り、病に倒れた日岡先生の美術教室を手伝っていたと述べられています。

後藤さん、横山さんは現在も創作活動に携わり、その他にも多くの方が日岡先生に師事したことで人生を開かれているようです。

漫画『かくかくしかじか』を描くことで、日岡兼三と言う芸術家を広く世間に知らせた東村アキコさんもまた生徒であり、弟子のひとりでしょう。

『かくかくしかじか』の中には、東村さんが日岡先生から受けた影響や愛情に、後悔を持って向き合った作品です。

幼さゆえの見栄を優先して日岡先生を遠ざけた事や、自身の夢を追うため先生についた嘘などが赤裸々に描かれており、多くの読者の心を強く揺さぶりました。

今回の映画化で、また多くの方が『日岡兼三』と言う芸術家を知り、様々な影響を受けるのではないでしょうか?

りと
りと
日岡先生の生徒さんやお弟子さんの中には、ブログを書かれている方も少なくなく、その多くがこの映画化に大きな期待を寄せられていました。

大きなスクリーンで当時を思い出す、そんな方もきっとたくさんいらっしゃるでしょうね。

 

まとめ

今回は、大人気漫画『かくかくしかじか』の人気を支える強烈キャラクター・日高先生のモデルとなった日岡兼三さんについて、妻の有無やその死因などを調べてみました。

漫画の中では先生のプライベートがほぼ描かれておらず、奥さんがいるのか、お弟子さんは何人いたのかなど、日岡兼三という人そのものに迫る描写が少ないだけに、読者の多くは

『日高先生は本当にいたのか?』

『大学生のアキコを訪ねその部屋で宿泊していたが、妻がいたらそんなことは出来ないだろう』

など、その存在への疑問を抱く事が少なくないようです。

日高先生のモデルとなった日岡兼三さんは、宮崎県で美術教室を開き多くの生徒や弟子を育てあげた芸術家です。結婚もされており、奥さんである日岡美穂さんは、中学校の美術教師として家計を支え、それと同時に夫・日岡兼三氏を尊敬してると手記を残されています。

日岡兼三さんが妻について描き残されたようなものは見つかりませんでしたが、彼の晩年を思えば死の直前まで創作活動を続けられた、その状況を整えてくれただろう美穂さんとの夫婦仲は良かったのではないでしょうか。

日岡さんの死因は肺がんですが、手術はしていません。肺がんと分かった時点で手の施しようがなかったのかもしれませんが、まっすぐで向上心溢れる日岡兼三さんの性格を鑑みるに、寛解するかどうかも見えない手術をして病室に縛られることを避けたのではないか、そんな気がしてきませんか?

『とにかく描け』

と、最後の最後まで弟子たちを叱咤し続けた日岡兼三さん。

その人生の一端を垣間見るような映画【かくかくしかじか】は、2025年5月16日の公開です。

原作を読んだことがない人、芸術に興味がない人、また日岡兼三という作家を知らない人にも響く映画【かくかくしかじか】。

人との出会いによって人生が変わるその瞬間を、是非大きなスクリーンでご覧ください!

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