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モアナのマウイはなぜ心を盗んだの?理由やテフィティの心とは?考察してみた

kuroneco
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世界に、島や植物などを誕生させたテフィティの心

映画【モアナと伝説の海】は、このテフィティの心が盗まれたことによってバランスを崩した世界を救うため、主人公・モアナが立ち上がる物語です。

テフィティの心を盗みだした半神・マウイと共に、『心』を返しに行く冒険の航海では、様々な危険がモアナ達の行く手を阻みます。

その最たるものが、悪魔テカァです。

テフィティの心を盗み出したマウイは、その逃走途中テカァに襲われ、海の底深くに『心』を落としてしまいました。

その『心』を返す為の物語が映画【モアナと伝説の海】なわけですが、頑張る女の子の冒険譚!が多いディズニー作品の中でも、ラブロマンス抜きにして進む珍しい作品となっています。

そもそもマウイはなぜ心を盗んだのでしょうか。半分とは言え、神という立場にありながら盗みを働いたその理由が気になりますね。

そこで今回は、映画【モアナと伝説の海】のテフィティの心の持つ力と、マウイはなぜ心を盗んだのかその理由について、調べてみました。

 

映画【モアナと伝説の海】が描くテフィティの心とは?

やまこ
やまこ
物語の軸になっている『テフィティの心って何なんだろう?』

 

映画【モアナと伝説の海】テフィティの心が持つ力とその秘密とは

映画【モアナと伝説の海】の中で、物語の核となる『心』の持ち主テフィティは海の女神です。

肌や髪の毛のみならず全身が緑色のテフィティは優しい微笑みを浮かべ、植物で構成されているような髪に花を咲かせた冠を乗せた姿をしています。

そんなテフィティは、モアナの住む世界に島や動植物を誕生させた女神として言い伝えられてきました。テフィティの心は万物創世の力を持っているのです。

やまこ
やまこ
万物創世って事は、日本神話でいう所のイザナギとイザナミの二神みたいなポジションってことかな?
りと
りと
映画【モアナと伝説の海】では、ポリネシア神話をベースにしてお話しが作られています。

そのポリネシア神話にも様々な神が登場しますが、テフィティの名前は見つかりませんでしたので、神話をモデルにしたキャラクターという事かもしれませんね。

世界を見守る存在だったテフィティですが、『心』を盗まれたことで状況は一変してしまいます。

『心』がテフィティの手元にあったからこそバランスの取れていた世界は、暗く沈んだ闇に覆われ、緑豊かだった島はあっという間に枯れ果て、作物は育たず魚も取れなくなってしまったのです。

なぜなら、心を失ってしまったテフィティが悪魔テカァに変容したからでしょう。

やまこ
やまこ
テカァって…『心』を盗んだマウイを襲った悪魔じゃない?
りと
りと
その通り!

溶岩のように赤黒くおどろおどろしい人型は、悪魔テカァでありテフィティでもあるのです。

やまこ
やまこ
 だからテカァはあんなにも執拗にテフィティの心を求めていたのね!

その証拠に、悪魔テカァの胸にある渦巻の中心部には『心』がはめ込めるようになっています。

つまり、マウイを襲う悪魔テカァは、『心』を奪われたテフィティそのものだという事ですね。

 

映画【モアナと伝説の海】を盗んだのマウイの人物像

テフィティの心を盗んだマウイは、半分だけ神様という人物です。

もともとは人間として生まれたもののすぐに親に捨てられたところ、神に拾われその力を与えられた事で半神となりました。

マウイについては、映画【モアナと伝説の海】のベースとなっているポリネシア神話にも同じ名前が存在します。

ポリネシア神話のマウイもまた生後すぐに未熟児だったことを理由に母親から捨てられ、神の力を与えられた偉大な英雄として言い伝えられていますので、明確に『モデルだ』と明言されているわけではないものの、そう捉えても問題はないでしょう。

りと
りと
ポリネシア神話のマウイは、父親が不老不死を与える呪文を間違ってしまった事で未熟児として誕生した、とされています。
やまこ
やまこ
え?未熟児だからって理由で捨てられるの?
りと
りと
昔は未成熟なまま産まれた場合、生きながらえる術がありませんからね。

悲しい事に、近代史の時代でも珍しい事ではありませんから、神話ともなればそういった表現になるのは仕方ないのかもしれません。 

産まれてすぐ親に捨てられた事実は、マウイの心に大きく影を落としました。

いくら神の力を得ようとも、親に捨てられた事実は彼の心に大きな影を落とし、自分自身の価値を見失ってしまっていたのです。

そのため、彼の行動にはいくつかのパターンが見られます。

人々の役に立つ事で己の自己肯定感を高めようとするため、少々無理な事にも挑戦してみたり、人々に喜ばれるとその行動を加速させてしまうのです。

やまこ
やまこ
マウイは、自分が存在する意味を求め続けているんだね。

マウイの体中に刻まれたタトゥーもまた、彼の承認欲求の結果と言えるかもしれません。

背中のタトゥー『海に投げ出される赤子』はマウイの人生の始まりを意味していますが、作中でも彼は自身の偉業について高らかに歌い上げており

  • 盗んだ火を人々に分け与えた
  • 太陽を捕まえて昼間の時間を長くした
  • 空を押し上げて広げた
  • 捕まえた風で船に追い風を送った

など、体中に施されたタトゥーによって人間の為に俺がしてきたことを誇っているのです。

自信満々にふるまい、モアナに対しても傲慢ささえ感じさせるマウイの言動ですが、しかしそこには彼の生い立ちからくる哀しみがあるのかもしれませんね。

 

映画【モアナと伝説の海】マウイはなぜ心を盗んだの?

やまこ
やまこ
でもさ、神様から与えられた力で自己肯定感を高める一助を貰ったはずのマウイが、なんで女神であるテフィティの心を盗み出したりしたんだろうね?

 

映画【モアナと伝説の海】テフィティの心を盗んだその理由を考察

神を欺くという大罪を犯してまでマウイはなぜテフィティの心を盗んだのか?

それは、彼の中で膨らみ続けた『人間の役に立ちたい』『役に立って称賛されたい』という、自己肯定感の低さからくる暴走のせいでしょう。

マウイは、島や植物を作り出すテフィティの心を盗めば、人間たちはきっと喜び、今まで以上に自分をあがめてくれると思ったのです。

りと
りと
これについては映画【モアナと伝説の海】の中でも、きちんと説明されています。

マウイには『英雄として称えられたい』という思いがあったため、神から盗みを働いてでも『すごい!』『ありがとう!』という言葉が欲しかったようです。

やまこ
やまこ
でも結局、マウイがテフィティの心を盗んだせいで、世界はバランスを崩して作物は育たなくなるし、空も暗い闇に覆われてしまったよね…。
りと
りと
マウイは、『心』を盗んだ影響が他者にまで向かうとは思ってなかったのかもしれません。

あれだけ『人間からの感謝』に固執するんですから、『心』を失ったテフィティの影響が人間にも現れると思っていれば、テフィティの心には手を出さなかったのではないでしょうか。

捨てられたことで、親にすら愛されなかったという思いはマウイにとって大きなトラウマとなっています。

親の愛は『君の存在そのものに価値があるんだ』という、この世界に誕生した子供たちが健やかに成長する為の栄養素のようなものなのかもしれません。

その栄養素を貰えなかった彼が、悲しい過去を人間の役に立つ事で上書きしようとしたと考えれば、マウイの行動をただ責めるだけには出来ませんね。

 

映画【モアナと伝説の海】が伝えたかった事とは

映画【モアナと伝説の海】には、ラブロマンスがない代わりに、人生の指針がいくつも散りばめられています

まず主人公モアナが、島の掟を破ってまで航海に出るシーン。サンゴ礁より向こうの海に出てはならない、という掟がある以上、モアナは一度も航海をしたことがないことが分かりますよね。

にもかかわらず、作物も魚も獲れなくなった島で村の家族たちがじわじわと飢える未来を変えるために、彼女は1人海に飛び出したのです。

誰かのために自分の思いを貫く大切さを、モアナは教えてくれました。

そして、物語の根幹となるテフィティの心を盗んだマウイからもまた、学ぶべき点はあります。

彼のように、自分の行動がどんな影響をもたらすかを熟慮せずに行動する怖さを知っておくこと、これは多くの人にとって一歩目を踏み出す前の思考を深めるヒントとなったのではないでしょうか?

モアナのように行動する事は大切です。彼女も、島を飛び出す時に先の事まで熟慮していたとは思えません。

しかし、仲間を助けたい!という強い思いで起こしたモアナと、『人間を喜ばせたい』と言いながら実際は我が身への称賛を願って行動したマウイには、背負った責任の重さが違うと思いませんか?

人は誰しも責任感を持って行動に出る時、その選択には慎重になりますし、出来る限り万全を尽くすように努力するでしょう。

やまこ
やまこ
確かに、モアナとマウイの行動原理には大きな違いがあるように思えるね。

映画【モアナと伝説の海】のラストは、モアナとマウイが『心』を返した事で悪魔テカァがテフィティに戻ります。

このシーンからも学ぶべきことがあります。

『心』を盗んだマウイは1,000年間幽閉されていましたが、それはテフィティが悪魔に変容していたのと同じ期間という事でもあります。

1,000年もの間、大切な『心』を盗まれ悪魔として苦しみ続けていたのもかかわらず、過ちを認め真摯に謝罪するマウイを許すテフィティ、この度量の大きさに驚く方も多いでしょう。

SNSが発達し、気軽に自分の気持ちや日常を発信できるようになった分、心無い言葉や重箱の隅をつつくような指摘によって疲弊しがちな現代人が多い今、テフィティの100分の1でも度量の大きさや寛容さを持つ事が出来れば、世界は変わると思いませんか?

『許されない罪などない!』とは言いませんが、過ちをきちんと認め自省し償おうとする者の心まで折ってしまっては、その関係性が前に進む可能性は低いままです。

真摯で誠実な謝罪を受け入れられたならまた新しい関係性を築く可能性も生まれる、テフィティからはそんな事を学んだように思います。

映画【モアナと伝説の海】のファンの中には、

女性
女性
モアナとマウイという2人のキャラクターを通して、人生において大切なヒントを描いていると思う。

として、単なる娯楽を超えて大切にされている方も少なくありません。

音楽や映像美も素晴らしいと絶賛されていますので、まだご覧になっていない方にも是非一度鑑賞をおススメしたい作品です。

 

まとめ

今回は、映画【モアナと伝説の海】について、マウイはテフィティからなぜ心を盗んだのか、その理由について調べてみました。

マウイがなぜ心を盗んだのか、その理由は、生い立ちからくる自己肯定感の低さを人間の役に立つ事で得られる称賛で埋めようとしたからです。

それまでも昼の時間を長くしたり空を広くしたりと、人間からの感謝により自分の存在価値を実感してきたマウイにとって、女神であるテフェティの心を盗むという危険な行為ですら、更なるチャレンジとしか思っていなかったのかもしれません。

しかし、それはあまりにも無謀な行動でした。

結局マウイは1,000年間幽閉され、神であるはずのテフィティは悪魔テカァへと変貌して世界のバランスを崩してしまったのです。

その崩れた世界を元に戻すためモアナが立ち上がったからこそ、1,000年ぶりに『心』がテフィティの元に戻り、マウイの謝罪も受け入れられて物語は終結しましたが、この物語には私たちが生きていくうえでの大切なことがいくつも描かれています。

変化を求めるのであれば行動を起こすこと、しかしその行動が他者に与える影響について考える必要性の他、誠実な謝罪に対してはある程度の度量を持って対応することで得られる未来投資など、遠い島の物語、と一言で片づけるには勿体ない教訓が多くのファンの胸を打つのです。

日本では、他のディスに—作品に比べて少し知名度の劣りますが、ラブロマンスが絡まない分、骨太の人生指針のようなものが得られる映画【モアナと伝説の海】。

2026年夏には実写映画の公開も予定されています。

アニメは少し苦手、という方もこの機会に、ぜひ映画館であの美しい音楽と映像を堪能してみませんか?

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