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オオカミの家に元ネタある?チリでモデルになった元の事件やコミューンについても調査

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Shie
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この記事では「オオカミの家」の元ネタやナチスとの関わりについて、また、チリでモデルになった元の事件とコミューンについてをご紹介しています。

2018年に製作されたチリのアニメ映画「The Wolf House」が、2023年8月「オオカミの家」として日本で公開されます。

この映画に元ネタはあるの?ナチスとの関わりは?と疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

そこで今回は、「オオカミの家」のモデルになった元の事件とは何なのか、コミューンとはどういうところだったのかを詳しく調査しました。


「オオカミの家」に元ネタはある?

「オオカミの家」は、チリのビジュアル・アーティスト、レオンとコシーニャが制作した初の長編映画。

「ホラー・フェアリーテイル」と謳われているだけに内容は不気味ですが、アニメーションの完成度の高さに魅了される人が続出しています。

ここでは「オオカミの家」の元ネタについてと、作品とナチスとの関係をご紹介していきます。


オオカミの家の元ネタはコロニア・ディグニダ

「オオカミの家」の元ネタは「コロニア・ディグニダ」です。

コロニア・ディグニダは、チリに実在するドイツ人の入植地のこと。

“ディグニダ”とはスペイン語で「尊厳」「誇り」などの意味があり、「コロニア・ディグニダ」を日本語にすると「尊厳のコロニー」ということになります。

コロニア・ディグニダとは

1961年、チリにおいてドイツ移民のコミューンとして設立された。

創立者はパウル・シェーファー

彼は少年に対する性的暴行が原因でドイツを追われチリに逃亡し、そこでコロニア・ディグニダを設立する。

最大で300人ものドイツ人やチリ人が暮らし、表向きは開墾を目的としたコミューンであるが、実際はパウルによる拷問、性的虐待、殺害で支配されたカルト団体である。

現在は「ビジャ・バビエラ(=バイエルン風のビラ)」と改名され観光地として存続している。

コロニア・ディグニダは、一度入ってしまうと二度と出ることができない恐ろしい場所でした。

「オオカミの家」は、チリに実在したコミューン「コロニア・ディグニダ」を舞台にして作られたアニメーション映画なのです。


オオカミの家とナチスの関係とは

コロニア・ディグニダの設立者であるパウル・シェーファーは元ナチス党員で、ヒトラーを崇拝していました。

1921年にドイツのボンで生まれたパウルは、第二次世界大戦中ドイツ空軍の衛生兵(医療活動を行う兵士)として活動していました。

「コロニア・ディグニダ」はパウルの独裁で運営され、その実態はナチスそのもの。

自分の意に反する者はたとえ少年であっても電気ショックなどの拷問にかけられ、コミューンから逃げ出すのは不可能でした。

「オオカミの家」は、ナチスの世界をそのまま引き継いだかのようなこの恐ろしいコミューンが舞台となっているのです。


コロニア・ディグニダのコミューンってどういうところ?

コロニア・ディグニダの内情は、個人主義を否定するナチスそのものでした。

ナチスの全体主義で統制されていたコミューンでは「個人」という考え方はなく、子どもは産まれてすぐに母親と引き離されます。

コロニア・ディグニダには「家族」という概念すら存在しなかったのです。

何もかもがコミューンの共有物であり、肉親も例外ではありませんでした。

コミューンの子どもたちはろくな教育も受けられず、強制労働や虐待、拷問といった暴力によって縛られました。

パウルは子どもたちに対し性的虐待を行い、自分の意に沿わない者には電気ショックなどの拷問を与えるのです。

コロニア・ディグニダは恐ろしい場所でしたが、そこから脱走することは不可能でした。

厳重な監視に加え、コミューンの周りには高いフェンスや有刺鉄線が張り巡らされており、外部に出たとしても周囲の住民や警察、またドイツ大使館にまでコロニアの力が及んでいたからです。


「オオカミの家」チリでモデルになった元の事件とは?

では、「オオカミの家」でモデルになった元の事件とは何なのでしょうか。

筆者が調べる限り、はっきりと「これが元の事件である」という情報は出てきませんでした。

「オオカミの家」ではマリアという少女がコミューンを脱走したところから物語が始まります。

そこで、コロニア・ディグニダで起こった脱走事件について調べてみることにしました。

1966年、ヴォルフガング・ミューラーという人物がパウルを性的虐待で告訴します。

彼は3回目の脱走で告訴を成し遂げました。

きっと脱走しては連れ戻されていたのでしょうね。

ミューラーの証言によると、彼は12歳の頃からパウルによって殴打、電気ショックなどの暴力を受け続け、薬物を投与され、また拷問の実験台にされていました。

結局、チリの裁判所はミューラーの訴えを認めず、彼と彼の母をドイツに送還してこの件は曖昧されてしまったようです。

ミューラーのように、脱走しても連れ戻され、その先には恐ろしい仕打ちが待っている…。

「オオカミの家」は、コミューンを脱け出すことの難しさと、その先にある絶望を描いた作品なのかもしれません。


まとめ

「オオカミの家」の元ネタやナチスとの関わり、チリでモデルになった元の事件とコミューンについてをご紹介してきました。

この作品の元ネタはチリに実在した「コロニア・ディグニダ」でした。

元ナチス党員だったパウルが創設したコロニア・ディグニダの実態はナチスそのもの。

モデルになった元の事件というものはわかりませんでしたが、「オオカミの家」はコミューンからの脱走の先にある恐怖を描いた作品なのかもしれません。

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