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君の名は。カタワレ時に2人はなぜ会えたの?最後シーンの意味を考察

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Shie
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2016年の公開から変わらぬ人気を誇る新海誠監督の映画「君の名は。」

公開直後は「何度も映画館に足を運んだ」という声が多かったのが印象的でした。

なぜ何度も見たくなるのか?

それは、映画の中で起こる不思議な現象を解き明かす楽しみがあるからではないでしょうか。

たとえば物語の後半、カタワレ時に2人はなぜ会えたのか。

三葉と瀧が階段で再会する最後のシーンの意味とはいったい何なのか。

いちど見ただけではわからない、でも何度か見ていくとこんな伏線があったんだ…!と思う場面が出てきますよね。

そんな「伏線回収の面白さ」もこの作品の魅力のひとつ。

そこで今回は、映画「君の名は。」で、カタワレ時に2人はなぜ会えたのか?と、最後のシーンの意味とは何なのか?のふたつの点について深掘りしていきたいと思います!

 

【君の名は。】カタワレ時に2人はなぜ会えたのか


まずはカタワレ時に2人はなぜ会えたのかを考察するために、カタワレ時はいつのことなのか、結びの意味と組紐の役割、三葉の半分である口嚙み酒について解説していきます!

 

「カタワレ時」っていつ?


そもそも「カタワレ時」とはいつのことなのでしょうか。

物語の序盤、古典の授業でユキちゃん先生が語る内容にそのヒントがあります。

「誰そ彼(たそかれ)」。これが黄昏時の語源ね。黄昏時はわかるでしょう?夕方、昼でも夜でもない時間。世界の輪郭がぼやけて、人ならざるものに出会うかもしれない時間。もっと古くは、彼誰そ(かれたそ)どきとか、彼は誰(かはたれ)どきとも言ったそうです。

「黄昏時」の語源は「誰そ彼(たそかれ)」。

日が暮れて薄暗くなり、相手の顔が見えにくく「あなたは誰?」と問いかけるような時間帯です。

ここで、ある生徒がユキちゃん先生に質問をします。

しつもーん!「かたわれどき」やなくて?

ユキちゃん先生はこう答えます。

かたわれどき?それは、このあたりの方言じゃない?

つまり「カタワレ時」とは「黄昏時」のことであり、糸守だけで使われる方言のことなのですね。

 

「カタワレ時」は「片割れ時」

「かたわれどき」はこの映画の中でつくられた言葉です。

彗星の落下から糸守を救おうとしていたときに三葉と瀧は時空を超えて奇跡的に出会うことができたわけですが、その時間帯がこの「かたわれどき」でした。

三葉と瀧は入れ替わりによって繋がった片割れ同士であり、その2人が出会えたということは、「カタワレ時」は「片割れ時」と表すことができるかもしれませんね。

 

「結び」の意味と「組紐」の役割


物語のキーワードとなってくるのが「結び」という言葉です。

三葉と四葉の祖母、一葉おばあちゃんによると

土地の氏神様をな、古い言葉で結びって呼ぶんやさ。この言葉には深い意味がある。糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び。全部神様の力や。

人を繋ぐことや時間が流れることは、結び、つまり神様の力だということ。

一葉おばあちゃんは続けてこう言います。

わしらの作る組紐もせやから、神様の技。時間の流れそのものを表しとる。縒り集まって形を作り、ねじれて絡まって、時には戻って途切れ、また繋がり。それが結び。それが時間。

時間は神様の力によってねじれて絡まり、戻っては途切れ、また繋がる。

そしてその媒体となるのが組紐というわけです。

三葉と瀧の入れ替わりが起こっていたとき、この2人はどちらも組紐を身に着けていました。

瀧が手首につけていた組紐は、(瀧から見て)3年前の三葉からもらったものです。

三葉と瀧を時空を超えて繋げたのは組紐の力だったと言えるでしょう。

 

三葉の半分である「口嚙み酒」


瀧と入れ替わった三葉、四葉、一葉おばあちゃんの3人が宮水神社のご神体がある場所に行ったときのことです。

ご神体のある場所は「隠世(かくりよ)」、つまり「あの世」なのだと一葉おばあちゃんは言い、さらにこう続けます。

此岸(しがん・現世のこと)に戻るには、あんたらのいっとう大切なもんを引き換えにせにゃいかんよ。口嚙み酒やさ。ご神体にお供えするんやさ。それはあんたらの半分やからな。

宮水神社の巫女である三葉と四葉が作った口噛み酒は、彼女たちの「半分」=「片割れ」でもあるのですね。

 

すべての条件が重なり、2人は会うことができた

三葉と瀧の入れ替わりは、2013年に彗星が落ちて三葉が亡くなってしまった日から途絶えてしまいます。

だけどこの後、ご神体のある山頂で2人は再び会うことができました。

この奇跡が起きたのは、上述したすべての条件が揃ったからなのです!

 

2016年、三葉と会えなくなった瀧は糸守を訪れ、3年前に三葉が彗星の落下で死んでしまったことを知ります。

なんとかして三葉ともう一度会いたいと、ご神体のある洞窟で口嚙み酒を飲む瀧。

そして以前、一葉おばあちゃんはこうも言っていました。

水でも米でも酒でも、人の身体に入ったもんが魂と結びつくこともまた結び。だから今日のご奉納は、神様と人間を繋ぐための大切なしきたり。

「三葉の半分」である口噛み酒を飲むことで魂が結びつき、死んだはずの三葉との間に結びが生まれたのです。

ここで瀧と三葉を繋いでくれたのが、時空を超えて2人を繋げてくれる必須アイテム組紐です。

組紐を通じて瀧の中に三葉の記憶が流れ込み、彗星が落ちる当日の三葉と入れ替わることができました。

一方、三葉は2016年の瀧の身体の中で目覚め、ご神体のある山頂で「自分はあのとき死んだのだ」と気づきます。

2013年にいる瀧も三葉のいる山頂へ向かい、この時点で2人は3年の時を隔てて同じ場所にいます。

ちょうどそのとき「片割れ時」がやってきました。

片割れ時は世界の輪郭がぼやけて、人ならざるものに出会うかもしれない時間です。

異なった時間軸でしたが同じ場所にいたことで、あの世とこの世の境界線が曖昧になった片割れ時に、2016年の瀧と死んだはずの三葉は出会うことができたのです!

 

【君の名は。】最後のシーンの意味を考察!


「君の名は。」のラスト、瀧と三葉が階段のところで再会するシーンは感動ですよね!

2人で力を合わせ糸守を彗星の被害から救いましたが、どちらもお互いの記憶をなくしてしまいます。

でも、ずっと何かを、誰かを、探しているような感覚がある瀧と三葉。

彗星の災害から8年が経った2021年、2人は電車ですれ違い、お互いを「探している相手」だと認識します。

電車から降りてお互いを探し回り、ついに2人は四谷にある須賀神社の階段で再会を果たします!

ここで神社の階段に注目すると、階段の上は神様に近い場所=あの世、下は現世、と見ることができます。

上から降りてくる三葉と、下から上っていく瀧。

これは、あの世にいた三葉が現世に、現世にいた瀧が三葉を迎えにあの世へという象徴なのではないでしょうか。

階段で再会する最後のシーンは、2人が失った記憶を意味していると言えるでしょう。

 

まとめ

「君の名は。」の中で、カタワレ時に2人はなぜ会えたのかということと、三葉と瀧が階段で再会する最後のシーンの意味を考察してきました!

カタワレ時に2人がなぜ会えたのかについて。

まず瀧が三葉の半分である口嚙み酒を飲んだことで魂が結びつき、組紐が2人を繋いだことで死んだはずの三葉と瀧が入れ替わることができました。

さらに、あの世とこの世の境界線が曖昧になる「片割れ時」に、片割れ同士である瀧と、死んだはずの三葉が出会うことができたのです。

また、階段で再会する最後のシーンは、あの世にいた三葉が現世に、現世にいた瀧が三葉を迎えにあの世へという失った記憶を意味している、と考察してみました。

この作品は見た人それぞれにいろいろな解釈があると思います。

ぜひ、それぞれの視点で「君の名は。」を楽しんでみてはいかがでしょうか♪

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