魔女の宅急便のジジの声が聞こえなくなった理由は?なぜ喋らなくなったのか解説
アニメ大国日本で、長らくTOP of TOPとも言われるスタジオジブリからは沢山の作品が生み出されていますが、春の新しい生活が始まるこの時期、多くの方が『観たい』と思う映画は【魔女の宅急便】ではないでしょうか?
見習い魔女のキキが親元を離れ、相棒の黒猫ジジと一緒に新しい街で暮らし始める物語です。
黒猫のジジはキキのピンチを救ったり彼女をいさめたりと、相棒として常に側にいる存在で2人はよく話をしています。
ところが物語中盤、ジジが喋らなくなってしまうのです。
なぜ喋らなくなったのか、ジジの言葉が聞こえなくなった理由は、多くの人が謎に感じた事でしょう。
そこで今回は、映画【魔女の宅急便】でジジがなぜ喋らなくなったのか、ジジの言葉が聞こえなくなった理由について調べまとめました。
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映画【魔女の宅急便】のジジが可愛い!どんな物語?
春なったし猫の恩返しと魔女の宅急便見たいな〜。 pic.twitter.com/WP1cjh4kYV
— ꙭ҉ ☁️ (@tvay3k) March 31, 2026
新しい環境に身を置く人も多い季節なだけに、春は【魔女の宅急便】観たくなっちゃうんだよね~。
映画【魔女の宅急便】あらすじ
田舎町に住むキキは、魔女の血を引く女の子です。
13歳になった魔女は親元を離れ、知らない街で一年間暮らすという修行があるため、キキは相棒のジジと一緒に満月の夜ほうきに乗って飛び立ちます。
先輩魔女との出会いや急な大雨に見舞われながらも、キキが辿り着いたのは海が見える大きな街でした。
一目で気に入ったキキは、街のパン屋さん・オソノ夫婦の家に居候する形で、宅急便屋さんとして働き始めます。
ほうきに跨って飛ぶキキに興味津々のトンボや、森の中の一軒家で絵をかいて暮らすウルスラなど、新しい出会いを重ねながらお客さんの要望に応えて毎日のように空を飛ぶキキ。
甥っ子へのプレゼントや孫娘への手料理を運んだり…様々な出会いを重ねながら少しづつ街にも慣れ始めたキキでしたが、ある日突然ジジの言葉が聞こえなくなってしまいました。
いつもであれば軽妙な語り口でキキを楽しませてくれていたジジが『にゃ~ん』としか鳴かなくなり、その上ほうきに跨っても空を飛べなくなってしまったのです。
一年間の修行を終えなければ魔女にはなれないのに…焦るキキの前に、今度はトンボのピンチが訪れてしまい…いったいキキはどうなってしまうのでしょうか?
ジジと喋れなくなったシーンは胸が痛かったな~。
映画【魔女の宅急便】のキキとジジの関係
修行のため、実家を出て1人遠い街へと飛び立ったキキ。
カバン一つに詰められた荷物とほうき、そして黒猫ジジが彼女の引っ越し仲間です。
魔法使いが動物を連れているのはセオリーの1つなのかな。
パン屋を営むオソノさん夫婦の離れに部屋を借りたキキは、日用品の買い出しをして、時々パン屋の店番を任されながら新しい街での暮らしをスタートさせます。
しかし、いつまでも居候のような暮らしでは修行になりません。
キキが始めたのは『空飛ぶ宅急便』でした。
そんなキキの側にはちょっと生意気な口調のジジがいて、兄のように、時には弟のように寄り添いながら、1人と1匹仲良く空を飛びまわります。
お客さんの荷物を落としてしまったキキのピンチに身体を張って助けたり、落ち込む彼女を慰めたりと、ネコでありながら喋れるジジは頼れる相棒なのです。
いつも一緒のキキとジジ。
キキと喜怒哀楽を共にしてくれていたジジが、ある日突然人間の言葉を喋らなくなります。その衝撃たるや…キキの動揺っぷりは見ているだけでも痛々しいものでした。
いつも楽しく喋っていた相手の言葉が分からない…たった1人で知らない街に来たキキにとって、ジジの言葉が分からない、というのがどんなに不安だったことか想像に易いでしょう。
ではなぜ、ジジは喋らなくなってしまったのでしょうか?
映画【魔女の宅急便】ジジはなぜ喋らなくなったの?
【魔女の宅急便】
ジジが喋ってた時と喋らなくなった時でしっかりと変化つけてるの流石だなと。
喋ってた時は表情があるのに対して、喋らなくなくなった途端、全く表情がない普通の猫にちゃんとなってる。#魔女の宅急便 pic.twitter.com/c0x6M4cOYg— ジント (@zintojp) April 29, 2022
映画【魔女の宅急便】ジジの言葉が聞こえなくなった時のキキ
軽妙なお喋りでキキだけではなく、視聴者をも虜にしていたジジの言葉が聞こえなくなった時の彼女の状況を見てみましょう。
それは13歳という思春期の入り口にいたキキが、自分に興味津々だけれど沢山の友達がいるトンボからパーティーに誘われた事で始まります。
ドキドキとウキウキの狭間で1つ仕事をこなしたキキが、次に向かったのは孫娘のパーティーにニシンのパイを届けるというものでした。
ところがオーブンの故障でパイが焼けない、と聞いたキキは、古い竈を掃除して一緒に焼き上げるお手伝いをすることになったのです。
焼きあがるまで、依頼主のマダムと一緒に穏やかな時間を過ごしたキキでしたが、いざ孫娘の自宅への配達に出ると空は厚い雲に覆われ、ずぶ濡れになって飛ばざるを得ません。
それでも、必死で濡れないように守り抜いたニシンのパイでしたが、孫娘はちっとも嬉しそうではなく、ただ一言
『わたし、これ嫌いなのよね。』
と言って受け取るのみ。
トンボとの時間も迫る中、びしょ濡れのキキは急速に元気をなくし、結局彼女はパーティーには行かずそのままベッドに潜り込んだのでした。
これにより風邪をひいてしまったキキが、オソノさんの助けもありながら回復したころ、ジジの言葉は全く聞こえなくなってしまっていたのです。
普通の猫と同じように『にゃー』としか鳴かないジジに慌てたキキは、急いでほうきに跨るも全く飛ぶことが出来なくなっていました。
魔法が弱まっている!と焦るキキ。
こうして物語はクライマックスへと進みます。
しかしこれは、ラストへと向かうある種の布石であり、そこにジジが喋らなくなった理由もあるようですよ。
映画【魔女の宅急便】ジジが喋らなくなったのはどうして?
映画【魔女の宅急便】のジジが喋らなくなったのは、キキが成長したため、とスタジオジブリ公式が発表されているようです。
どういうこと?
そもそも、最初からジジは喋っていなかったというのが【魔女の宅急便】ファンの間では定説となっているようですね。
幼いころから共に育ってきたキキは、イマジナリーフレンドのようにジジを脳内で喋らせていたのではないか?という考察です。
この考察は、厚意が必ずしも相手にとって喜ばれるものでは無い事や、華やかなトンボの友人に比べ黒いワンピースという地味な自分、ほうきに跨っても飛べない、という自信喪失のオンパレードがキキの心を大きく成長させた、という事でしょう。
『ごめんね』『いいよ』の世界に生きる子供の心では、正義と悪がはっきりと分かれていて、謝罪は仲直りの印として育つ事と思います。
しかし大人になるにつれ、人間関係はそんな風に綺麗に分けられるものでは無いし、矛盾や羞恥心をどう折り合いつけながら暮らしていくのか、という部分が大切な事に気付きます。
それは、人間でも魔女でも同じでしょう。
これまでは楽しい事も腹が立つことも、全てジジとお喋りする事で自分の気持ちが整理できていたのに、色んな感情で脳内がゴチャゴチャになってしまい、ジジの言葉としてキキの中に降りてこなかったのかもしれません。
つまりこれは、幼児期からの脱却を『ジジの言葉が聞こえない』で、表していると言えるではないでしょうか。
その他にも、
といった考察も見られます。
この考察には『恋をしたこと』が、唯一無二の相手を見つけたという事に繋がり、それによって相棒関係が崩れてしまうから同じ言語でのコミュニケーションが取れなくなったのではないか?というものです。
双方の考察に共通しているのは、『成長』でしょう。
宮崎駿監督は、『なぜジジは喋らなくなったのか?』と聞かれた際、
というような事をお話されています。
つまりは、ジジが喋らなくなったのはキキが『成長』したからなのです。
児童書というカテゴリーですが、大人が読んでもワクワクドキドキできる、と人気の大ベストセラーですね。
まとめ
魔女の宅急便。最後、ジジの言葉が分かるようになったのか、まだ分からないけれどきっと大丈夫と思えたのか。様々に想像が膨らんでとても好きなシーンです。 pic.twitter.com/1MSCT0a1G4
— 青玉 (@hanatirusato09) January 29, 2026
今回は映画【魔女の宅急便】について調べ、ジジがなぜ喋らなくなったのか、ジジの言葉が聞こえなくなった理由についてまとめました。
ジジがなぜ喋らなくなったのか、それは偏にキキが成長したからです。
幼少期より共に育ってきたキキとジジの間には、人間と猫という以上の繋がりがあります。
いつも一緒にいて、喜怒哀楽を共にし、唯一の相棒としてジジと会話するキキですが、しかし作中でジジが他のキャラクターと話しているシーンはありません。
それはつまり、ジジは最初から喋っておらず、キキが脳内でジジの言葉を補完していたからなのではないか?という考察が見られました。
ジジの言葉が聞こえなくなったのはキキが成長したから、この見解はスタジオジブリ公式のものとなります。
つまり、13歳という年齢で親元を離れ、自分で稼いで暮らしていくという『大人への階段』を登っていたキキが、様々な経験から心を成長させたため、ジジとのお喋りが消えたという事なのでしょう。
映画【魔女の宅急便】はキキの旅立ちから始まる事もあり、日本では年度替わりの4月にご覧になる方が多いようです。
いつ観ても名作は名作ですので、心が疲れている時や、新しい事にチャレンジするときのお守りのように鑑賞される方もいらっしゃる様子。
子供の頃に観ていた視点とはまた違う見方が出来るのも、往年の名作の楽しみ方の1つですよね。
是非これからも、観るたびに心が晴れやかになる、宝物のような作品でいて欲しいですね。






