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八犬伝(映画)はどこまで実話?わかりやすく小説についても解説

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『南総里見八犬伝』、読んだ事は無くても名前は聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか?

江戸時代の人気作家滝沢馬琴による長編読本ですが、発刊されてから現代にいたるまで小説や漫画、映画の題材にされることが多い作品とはいえ、『内容が難しそう…』『分かりやすくなさそうで手が出せない』などの声もセットで聞かれます。

とはいえ、未だに様々な媒体で楽しまれているという事は、内容を知ると面白く夢中にさせる物語、それが『南総里見八犬伝』なのでしょう。

なかでも、作家・山田風太郎さんによる著作『八犬伝』は、昭和58年の書籍化以来、装丁を変えて何度も刊行されている大人気作品です。

その【八犬伝】が、2024年10月25日に映画公開される事になりました!

山田風太郎さんの『八犬伝』では、『南総里見八犬伝』の物語と、その作者・滝沢馬琴の日常が混ざり合うような展開となっていますが、この中に実話部分はどこまで盛り込まれているのでしょうか?映画のキャッチコピーには『虚と実が混ざり合う』とあり、滝沢馬琴の人生をどこまで実話に添って描いているのか気になるところです。

そこで今回は、映画【八犬伝】の内容がどこまで実話に即しているのか、また『南総里見八犬伝』についてもモデルの有無など含め、分かりやすくまとめてみました。

 

映画【八犬伝】の原作小説をわかりやすく解説

りと
りと
映画【八犬伝】の原作は、作家・山田風太郎さんが1982年8月30日から朝日新聞にて『八犬傳』として359回に渡って連載された小説となります。

『忍法帖シリーズ』や『魔界転生』など和風ファンタジー名作の多い山田さんが描く『八犬伝』は、どのような話なのでしょうか?

 

原作小説『八犬伝』は滝沢馬琴の生涯と『南総里見八犬伝』の掛け合わせ

山田風太郎さんの著作『八犬伝』は、滝沢馬琴の日常と、馬琴が描く『南総里見八犬伝』の世界が交互に描かれながら展開していく物語です。

やまこ
やまこ
滝沢馬琴って、歴史の授業で習ったぐらいしか知らないんだけど、彼の日常ってどういうもの?江戸時代だよね?

滝沢馬琴は、明和4年(1767年)に生まれ嘉永元年(1848年)に没した、当時としては驚異の長生きをした読本作家ですが、その生涯について多くの方が認識している、とは言い難い人物ですね。

それこそ『滝沢馬琴と言えば南総里見八犬伝を書いた人』という認識しかない方がほとんどではないでしょうか。

滝沢馬琴の著作は様々あり、挿絵は当時の人気浮世絵師・葛飾北斎が手掛けるなど人気を集めていましたが、なかでも続編を待ち焦がれるほどの人気作、そのうえ20年をも超える超長期連載作品となったのは『南総里見八犬伝』でした。

馬琴の晩年は『南総里見八犬伝』の執筆に邁進する日々を送ったようです。

途中失明し執筆の危機に陥るも、息子・宗伯の嫁のお路による口述筆記にて、28年もの歳月をかけ完成させた『南総里見八犬伝』は令和の現代でも人気を集める和風ファンタジーの元祖となっています。

失明した馬琴の手伝いをしたのがなぜ息子嫁なのかというと、その頃にはもうすでに息子・宗伯は病没していたからです。宗伯は父の執筆のよき理解者でしたが、病弱で伏せがちだった彼は天保6年(1835年)に病没しています。

お路としては、夫の願いでもあった義父の『南総里見八犬伝』を、何としても完結させたかったのかもしれませんね。

しかしこれが馬琴の妻・お百は面白くなかったようです。

失明した馬琴にとって、自分の執筆に辟易状態の妻よりも、協力的で献身的なお路の方を頼る事は仕方のない事ではあるのでしょう。しかし、それが理解は出来たとしても、上手く感情に落とし込めないのが人間というものですよね。

映画【八犬伝】の中では、『南総里見八犬伝』に取り組む馬琴の晩年について多くの事実が盛り込まれているようです。

とはいえ教科書や参考文献などには当時の馬琴の心情や葛藤が深く載っているわけではありませんから、その行間部分を山田風太郎さんがどんな風に描き出したのかが気になります。

このように、映画【八犬伝】で描かれる馬琴の場面は、キャッチコピーが示す『実』の通り、史実に忠実に作られているようです。

では、この馬琴の日常に混ざりこむようにして展開していく『南総里見八犬伝』とは、いったいどんな物語なのでしょうか?

 

滝沢馬琴・著『南総里見八犬伝』の内容について解説

りと
りと
そんな馬琴が書いた『南総里見八犬伝』にはモデルがいると言われていますが、まずは作品の内容について触れておきましょう。

室町幕府8代将軍・足利義政が治めていた長禄2年の頃の事、安房の滝田城の里見義実は隣国の安西氏に攻め込まれ窮地に陥っていました。

このままでは城を獲られてしまう、そう焦る義実の目に飛び込んできたのは、狸に育てられたという逸話を持つ犬・八房(やつふさ)です。身体に牡丹のような模様をもつ八房は人間の言葉を解している節があり、思わず

『敵の大将首を獲ってきたら娘を嫁にやるぞ‼』

と叫んでしまった義実。すると八房は敵地に乗り込み、本当に敵将首を加えて戻ってきたのです。

これで窮地は脱したと一息ついた義実ですが、犬相手に娘を差し出すという愚行を思い出し一気に焦ります。なぜなら彼には17年前に受けた呪いがあったからです。

17年前、落ち武者となって安房までたどり着いた義実は、当時の安房領主・山下定包の虐政を知り下克上を起こしたことがきっかけで、安房里見一族の初代となっていた経緯がありました。

その当時の義実は、山下定包の寵姫寵姫・玉梓に許すと言いながら打ち首にしており、それにより玉梓の呪いを受けてしまっていたのです。斬首される直前、玉梓は

『里見家に犬の子をもたらしてやる!』

との呪いを残し、義実は八房に娘を嫁にやると言った自分の言葉に青ざめたのでした。

慌ててなかった事にしようとする義実でしたが、娘の伏姫は父と八房の約束を守ると言い出します。

美しく聡明で心優しい伏姫にとって、父の戯言とはいえその言葉を信じ敵軍に飛び込み里見家の危機を救った八房を、たかが犬畜生と約束を投げ捨てることは出来なかったのでしょう。

こうして伏姫は八房と共に深い山奥に分け入り、そこで山中に籠りながら日々読経を続ける日々を送ります。するとどうしたことか伏姫の腹が膨らんできてしまいました。

伏姫には当然身に覚えがありません。

誰とも交わっていないのに膨らんでいく腹部、決して八房とは交わっていないのにと困惑する伏姫の前にどこからともなく現れた童が言い放ちます。『その信心深さから身体ではなく気が八房と交わったのだ』と。

そのころ、姫を奪還すべく山に突入してきた義実と家臣たちは、山中で見つけた八房を鉄砲で川に撃ち落とします。

こうして滝田城に連れ戻された伏姫ですが、義実たちが気になるのはやはり彼女の膨らんだ腹部です。義実の脳裏には玉梓の呪いがこびりついています。

伏姫は、八房と交わっていなくても実際に自分の腹には犬の子が宿っている、と自らの腹を掻っ捌いて死んでしまいました。

その瞬間、8つの光が四方八方へ飛び散ります。それは伏姫が肌身離さず身に着けていた数珠玉。飛び散った8つの珠は仁義発行の文字が刻み込まれ、伏姫の気をまとったまま全国へと散らばり、各地の若者に宿ったのです。

文武優秀で正義感の強い彼らは、必ず名前に『犬』の字が入り、不思議な珠と体のどこかに牡丹の痣を持っていました。

生まれた場所も年齢も様々な彼らですが、皆が何かしらの縁で結ばれており、やがて出会い『八犬士』と呼ばれるようになります。

八犬士は、2代目当主・義成が治める里見家に集結し関東対戦で貢献したことで、義成の8人の娘を妻に、更には城を与えられ里見家の重心として召し抱えられたのでした。

やまこ
やまこ
『南総里見八犬伝』は日本初のファンタジーとも言われているけれど、こんなにも荒唐無稽な作品のモデルがいるって本当なのかしら?

『南総里見八犬伝』には実在のモデルがいるとされています。それは、小国ながらも水軍を駆使して安房から房総半島、伊豆半島の辺りまでを縄張りに戦国時代を生き抜いた安房里見家です。

伏姫のモデルは、安房里見家5代目当主・里見義堯の娘・種姫ではないかとされています。種姫は夫を亡くした25歳で仏門に下り、出家して亡き夫の菩提を弔う寺を建立して山中に籠ったとされている人物です。

とはいえ、夫が亡くなった事で出家する妻女というのは種姫に限らず沢山いたわけで、そう珍しい事ではありません。ではなぜ、伏姫のモデルが種姫と言われているのか…。

それは種姫の父・義堯から少し進んだ時代の里見家9代目当主・里見忠義の時代にヒントがあります。

戦国が終わり、豊臣秀吉から徳川家康に時代が移り変わる時、時流に乗った里見家は館山安房藩を治めていましたが、1614年に徳川家より江戸城への登城を禁止されてしまいました。

理由は徳川家重臣・大久保忠隣の失脚に関わった事、そして幕府に無断で城郭修理をしたことなどが上げられ、これにより忠義は伯耆・倉吉藩に転封となります。

13万石から3万石への減俸、そのうえ伯耆・倉吉藩の実態は4千万石しかなく、里見家は一気に困窮大名となってしまいました。

里見家を襲う悲劇はこれだけではありません。最終的に百人扶持知行まで身分を下げられた忠義は失意のうちに29歳で死去、忠義には息子がいなかったため、徳川幕府により里見家は御取り潰しとなったのです。

里見忠義の無念の死後、彼の家臣であった板倉昌察ら8人の側近が殉死しています。彼らの死は、忠臣として称えられ、また8人の戒名に『賢』の字が入っていた事から、板倉らは『八賢士』と呼ばれるようになりました。

これこそが『南総里見八犬伝』の『八犬士』のモデルではないかと言われている所以です。

そもそも里見忠義の江戸城登場が禁じられた事も、それが1614年だったことから本当に理由は別にあるのではないかと言われています。

1614年は徳川軍による江戸城冬の陣があった年。つまり徳川家康は現在の東京から大阪に攻め入る為、江戸城を留守にすることが里見家の御取り潰しに繋がったのでは?と考えられているのです。

善政を敷き、領民からも慕われていた里見忠義は、8人もの殉死を選ぶ忠臣を抱えていた事からも分かるように、家臣との絆の強い君主でした。

そんな里見家が江戸からそう遠くない位置にいて、その状態で征夷大将軍とはいえ西に豊臣家が君臨している徳川家安泰とは言えない状況が不安だったのかもしれません。

こういった裏事情で転封のうえ、最後は小さな百人扶持程度の困窮状態で亡くなった里見忠義を想った滝沢馬琴は、殉死した『八賢士』をモデルに『南総里見八犬伝』の『八犬士』に里見家を再興させたかったのではないか、と考える研究者もいるようです。

こういった考察から滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は、戦国末期から江戸初期にかけて存在した里見家がモデルと言われています。

 

映画【八犬伝】のあらすじと豪華キャスト陣をご紹介

 

映画【八犬伝】のあらすじ・どこまで実話?

江戸時代の人気作家・滝沢馬琴

『8つの珠を持つ剣士たちが、里見家にかけられた呪いを解く為の運命に導かれて集まり、壮絶な戦いに身を投じていく』

という物語の構想を練っていました。

この内容に、こんなにも壮大な怪異譚は聞いた事も見た事もないと大興奮したのは、友人で人気浮世絵師・葛飾北斎です。馬琴の作品の挿絵を数多く手がけてきた北斎は、早く書いた方が良いと彼の背を押し、『南総里見八犬伝』の続きが気になる、と再々馬琴の家を訪れては二人楽しく創作を始めます。

馬琴の『南総里見八犬伝』はたちまちのうちに大人気作となり、続編が期待され続ける異例の長期連載へと突入します。

ところが、25年を超える連載は老いゆく馬琴の体を蝕んだのか、クライマックスに差し掛かる大事なところで彼の眼に異常が現れてしまいました。最初は異常を覚えるくらいのものでしたが、馬琴の眼はそのまま失明してしまいます。

これでは執筆を続ける事はできないと『南総里見八犬伝』の完成が危ぶまれましたが、そんな馬琴に手助けを申し出たのは、息子嫁のお路でした。息子の宗伯は馬琴の作品の理解者でしたが、身体が弱く既に病没…そんな時に手を挙げてくれたのがお路だったのです。

馬琴はお路に口述筆記を頼み、ここから『南総里見八犬伝』は馬琴とお路、2人が協力して書き上げていくことになります。それが面白くないのは馬琴の妻・お百です。もともと執筆ばかりの夫に辟易していたお百は、息子嫁が夫の手伝いを始めた事が面白くありません。

家の中にピリピリとした空気が立ち込める中、『南総里見八犬伝』は佳境を迎える…。

 

映画【八犬伝】の豪華キャスト陣をご紹介

映画【八犬伝】には、役所広司さんはじめ豪華な俳優陣がキャスティングされています。

キャスト陣は、滝沢馬琴の世界と、『南総里見八犬伝』の世界、それぞれに配役されていますのでまとめてご紹介いたしましょう。

~滝沢馬琴の日常パート~

  • 滝沢馬琴(南総里見八犬伝の生みの親)…役所広司
  • 葛飾北斎(馬琴の親友・浮世絵師)  …内野聖陽
  • お百(馬琴の妻)          …寺島しのぶ
  • 宗伯(馬琴の息子・馬琴の理解者)  …磯村隼人
  • お路(宗伯の妻・八犬伝の執筆手伝い)…黒木華

~『南総里見八犬伝』パート~

  • 伏姫(里見家の姫・呪いを解く為八犬士の母)…土屋太鳳
  • 里見義実(伏姫の父。物語の因果の元)   …小木茂光
  • 玉梓(義実に騙され里見家を末代まで祟る) …栗山千明

八犬士

  • ・忠・犬山道節(火遁の術の使い手)    …上杉柊平
  • ・孝・犬塚信乃(名刀・村雨使い)     …渡邊圭祐
  • ・信・犬養現八(豪放な男)        …水上恒司
  • ・悌・犬田小文吾(力自慢の巨漢)     …佳久創
  • ・仁・犬江親兵衛(最年少の八犬士)    …藤岡真威人
  • ・義・犬川壮助(大塚信乃の家に仕える)  …鈴木仁
  • ・礼・犬村大角(化け猫憑きの父と戦う)  …松岡広大
  • ・智・犬坂毛野(玉梓憑きの扇谷定正を討つ)…板垣李光人
やまこ
やまこ
また、馬琴の日常パートでは『東海道四谷怪談』を書いた鶴屋南角を立川談春さん、四谷怪談で伊右衛門を演じる7代目市川團十郎を中村獅童さん、お岩を演じる3代目尾上菊五郎を尾上右近さんが演じられています。

江戸時代から脈々と続く歌舞伎を、実際の歌舞伎役者さんが演じる様は迫力があるでしょうね!

 

まとめ

この記事では映画【八犬伝】について、どこまで実話が盛り込まれているのか、作中にも深く絡んでくる『南総里見八犬伝』の内容について分かりやすくまとめてみました。

映画のキャッチコピーでも言われている通り、この作品には『虚』と『実』が入り混じっています。

『南総里見八犬伝』の内容と、その作者である滝沢馬琴の日常、これらが上手く融合する形で、馬琴の人間らしい感情や葛藤の『実』と、今でも面白いと人気を集める『南総里見八犬伝』の『虚』の世界…。

晩年の馬琴の失明や息子の死、また失明した馬琴を手伝ったのが息子嫁であることなど、しっかりと馬琴の実話をベースにしながら、そこに彼の作品を絡めている映画【八犬伝】は、人間らしい感情とアクションが入り混じる作品となっているようです。

『南総里見八犬伝』は28年にもわたって連載された大長編作品ですが、分かりやすく物語の最初と最後をまとめてみましたので、映画をご覧になる前の参考にして頂ければと思います。

映画【八犬伝】は、2024年10月25日公開です。『虚』と『実』に入り混じりながら描かれる、どこまでも人間くさい滝沢馬琴の生涯と彼が紡ぎだしたファンタジーの融合に浸ってみませんか?

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